ドレミの歌の発祥と歴史の真相!中世讃美歌からペギー葉山訳詞秘話まで徹底解剖
幼少期に誰もが口ずさみ、音楽教育の入り口として世界中で親しまれている名曲『ドレミの歌』。「ドはドーナツのド、レはレモンのレ」という親しみやすいフレーズは、日本の音楽の教科書やテレビ番組を通じ、世代を超えて日本人の心に深く根づいています。
しかし、この楽曲が「いつ、どこで、どのように生まれたのか」という発祥の経緯を知る人は決して多くありません。実は、私たちが歌う「ドレミ」という音階の名称は11世紀の中世イタリアにまで遡り、ミュージカル劇中歌としての原曲、そしてペギー葉山氏による日本語歌詞の誕生には、それぞれドラマチックな知られざる裏舞台が存在します。本稿では、音楽史の源流から名作映画、名訳の舞台裏まで、一次資料と歴史的記録に基づいて徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ドレミ」という音階名の発祥は、11世紀イタリアの修道士グィード・ダレッツォが考案した『聖ヨハネ賛歌』の頭文字に由来する。
- 要点2:劇中歌『ドレミの歌』は1959年の米ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のために作られた劇中指導曲である。
- 要点3:「ドはドーナツ」の日本語歌詞は直訳ではなく、歌手のペギー葉山氏が米国滞在時の孤独とおやつから着想した独自の傑作翻案である。
【発祥の起源と歴史】ドレミファソラシド誕生の謎|中世イタリア修道士の画期的発明
音階の呼び名である「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」のルーツを辿ると、今からおよそ1000年前の中世ヨーロッパ(11世紀初頭のイタリア)へと行き着きます。その生みの親こそ、トスカーナ地方のアレッツォで活動していたカトリック教会の修道士であり、優れた音楽理論家でもあったグィード・ダレッツォ(Guido d'Arezzo)です。
当時の教会音楽(グレゴリオ聖歌など)は楽譜の規格が整っておらず、修道士や聖歌隊の見習いたちは、膨大な数の聖歌をすべて耳と記憶だけで覚える必要がありました。一人前の歌い手になるまでに10年以上の歳月を要していたとされ、音程の伝達ミスも日常茶飯事でした。
この非効率な教育現場を劇的に変えるべく、グィードが考案したのが「階名唱法(Solmization)」です。彼は、当時の修道士なら誰もが知っていたラテン語の讃美歌『聖ヨハネ賛歌(Ut queant laxis)』に注目しました。この賛歌は、各小節の歌い出しが1音ずつ高くなっていく特徴的な旋律を持っていたのです。
グィードは各節の冒頭の音節を抜き出し、音階の目印として割り振りました。
- Ut(ウト):Ut queant laxis(あなたのしもべが)
- Re(レ):Resonare fibris(声を響かせて)
- Mi(ミ):Mira gestorum(あなたの奇跡を)
- Fa(ファ):Famuli tuorum(称えることができるように)
- Sol(ソル):Solve polluti(汚れた唇から)
- La(ラ):Labii reatum(罪を取り除いてください)
- Sancte Iohannes(聖ヨハネよ)
当初は「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」の6音階(ヘクサコード)でしたが、16〜17世紀に入り、発音しにくい「Ut」が開口母音で歌いやすい「Do(Dominus=主、または音楽家ジョヴァンニ・バッティスタ・ドニの名に由来)」へと改称。さらに『聖ヨハネ賛歌』の結びである「Sancte Iohannes」の頭文字をとって「Si(シ)」が追加され、現在世界標準となっている「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」が完成しました。

【元ネタの真相】名作ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』誕生秘話
中世イタリアで生まれた階名を、世界で最も有名なポップス・エデュケーションソングへと昇華させたのが、アメリカの黄金コンビであるリチャード・ロジャース(作曲)とオスカー・ハマースタイン2世(作詞)です。
楽曲『ドレミの歌(原題:Do-Re-Mi)』は、1959年にブロードウェイで初演されたミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のナンバーとして誕生しました。さらに1965年の映画版(ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演)の世界的大ヒットによって、そのメロディは地球規模で知れ渡ることになります。
物語の舞台は、第二次世界大戦前夜のオーストリア・ザルツブルク。妻を亡くし心を閉ざした厳格な海軍軍人トラップ大佐の家庭に、見習い修道女のマリアが家庭教師として派遣されます。大佐によって軍隊式の厳しい規律で縛られ、歌うことすら禁じられていた7人の子どもたちに対し、マリアが「音楽の楽しさと歌う自由」を取り戻させるために教えるレッスン曲こそが、この『ドレミの歌』でした。
作詞のオスカー・ハマースタイン2世は、1000年前にグィード・ダレッツォが「頭文字で音程を覚えさせた」教育的手法に敬意を払い、英語の同音異義語(地口・言葉遊び)を駆使した歌詞を書き下ろしました。
- Doe(ド=雌鹿):a deer, a female deer
- Ray(レ=光線):a drop of golden sun
- Me(ミ=私):a name I call myself
- Far(ファ=遠い):a long, long way to run
- Sew(ソ=縫う):a needle pulling thread
- La(ラ=ソに続く音):a note to follow Sew
- Tea(ティ=紅茶):a drink with jam and bread
英語圏では「シ」を「Ti(ティ)」と発音するため、「ジャムパンと一緒に飲むお茶(Tea)」と掛け合わせる見事な構成になっています。単なる音階練習ではなく、子どもたちが自然の情景や日常の暮らしを思い浮かべながら楽しく歌える工夫が凝らされていました。
【徹底比較】英語原曲と日本語版歌詞の違い|「シ」が導く奇跡のローカライズ
日本で歌われている「ドはドーナツのド」という歌詞は、英語の原曲を直訳したものではありません。言語構造の違いを乗り越え、子どもたちが直感的に理解できるよう再構築された日本独自のローカライズ作品です。
原曲の英語詞とペギー葉山氏による日本語詞の違いを、以下の比較表で整理しました。
| 音階 | 英語原曲のモチーフ(同音異義語) | 日本語版のモチーフ(頭文字・連想) | 編集部の分析・表現の巧みさ |
|---|---|---|---|
| ド | Doe(メス鹿) | ドーナツ(おやつ) | 丸い形と甘い香りで子どもの興味を瞬時に惹きつける掴み。 |
| レ | Ray(一筋の太陽の光) | レモン(果物) | 視覚的な黄色と酸味の共感覚を呼び起こすワード選定。 |
| ミ | Me(私自身) | みんな(仲間・子どもたち) | 「私」から「みんな」へ広げることで合唱の一体感を演出。 |
| ファ | Far(遥かな道のり) | ファイト(前向きな掛け声) | 食べ物から敢えて感情へと展開させ、歌の推進力を生む転換点。 |
| ソ | Sew(針と糸で縫う) | 青い空(広大な自然) | 高音の開放感に合わせ、視線を空へと向けさせる情景描写。 |
| ラ | La(ソの次の音節) | ラッパ(楽器・音) | リズミカルな擬音(プパパ)を誘発し、身体的楽しさを付加。 |
| シ | Tea(紅茶) | 幸せ(幸福感・結び) | 「さあ歌いましょう」への高揚感を最高潮に導く情緒的着地。 |

【実態検証】ペギー葉山が明かした訳詞秘話|ロサンゼルスの孤独とおやつから生まれた奇跡
日本で親しまれている『ドレミの歌』の訳詞者は、昭和を代表するジャズ・歌謡曲歌手のペギー葉山氏(1933〜2017)です。彼女がこの歌詞を生み出した背景には、過酷な海外遠征先での切ない体験がありました。
1960年、ペギー葉山氏は全米各地を回る長期コンサートツアーに参加しました。言葉の壁や過密スケジュール、異国のホテルで一人過ごす孤独感に押しつぶされそうになっていたある日、ロサンゼルスのホテルの一室で劇団関係者から渡されたのが『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中楽譜でした。
後年のテレビ特番インタビューや自著の回想録において、ペギー氏は当時の心境を次のように語っています。
「ホームシックで泣きそうだった私の傍らにあったのは、差し入れで貰ったドーナツと、テーブルに置かれたレモンや果物でした。英語の歌詞をそのまま日本語に当てはめようとすると、どうしても堅苦しくなってしまう。子どもたちがお母さんと一緒に笑顔になれる歌詞にするにはどうすればいいか――そう考えたとき、目の前のドーナツが目に飛び込んできたのです」
「ドはドーナツ」「レはレモン」と着想したペギー氏でしたが、最大の壁となったのが「ファ」でした。「ファンタ」や「ファンファーレ」などを試行錯誤したものの、小さな子どもには発音しにくく、しっくりきません。そこで彼女は「元気を出そう、頑張ろう」と自分自身を鼓舞する言葉として「ファはファイトのファ」を採用しました。
完成した訳詞は、1962年6月〜7月にNHK『みんなのうた』で初放送されると、瞬く間に全国の幼稚園や小学校へと波及。その後、音楽教科書に掲載されたことで、日本の国民的スタンダードナンバーとして定着したのです。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「ドレミの歌」にまつわる3大トラップ
『ドレミの歌』の発祥に関しては、インターネット上やSNSでも多くの誤認や混同が見受けられます。ここでは、代表的な3つの誤解を正しく検証・整理します。
誤解1:『ドレミの歌』はオーストリアの伝統民謡である?
映画『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台がオーストリアのアルプス山脈であるため、「古くから伝わるチロル地方の民謡をアレンジした曲」と勘違いされるケースが多々あります。しかし実際は、1959年にアメリカ・ニューヨークのブロードウェイで完全新作として書き下ろされた楽曲です。オーストリアの現地にそのような伝統曲は存在しません。
誤解2:ペギー葉山の歌詞は英語詞を忠実に直訳したものである?
前述の通り、英語原曲の「Doe(メス鹿)」「Ray(光線)」「Far(遠い道のり)」という単語は、日本語版には一切登場しません。英語の言葉遊びをそのまま日本語に置き換えるのではなく、「子どもの身近にある食べ物や明るい感情」へと根本的に再設計した芸術的意訳(翻案)です。
誤解3:グィード・ダレッツォが『ドレミの歌』を作曲した?
音楽史の解説において、「ドレミの発明者」である中世の修道士グィード・ダレッツォと、「ドレミの歌の作曲者」であるリチャード・ロジャースが混同されて語られることがあります。グィードが発明したのは「音階の呼び名(階名唱法)」であり、楽曲『ドレミの歌』を作曲したのはロジャースです。両者の間には約900年の時間の開きが存在します。

【プロの結論】音楽教育と異文化翻案の視点から読み解く成功の本質
『ドレミの歌』が国境と時代を超えて愛され続ける理由は、音楽教育学と文化社会学の観点から見ても極めて合理的な仕組みに支えられています。
教育心理学において、抽象的な概念(音程や五線譜の高さ)を記憶に定着させる際、視覚的イメージや情緒的体験を結びつける「連想記憶(Mnemonics)」は最も効果的な手法の一つとされています。グィード・ダレッツォは1000年前に『聖ヨハネ賛歌』のフレーズを活用し、オスカー・ハマースタイン2世は英語の身近な単語を用い、ペギー葉山氏は日本の子どもたちが大好きな「おやつ」と「前向きな言葉」へと結びつけました。
形式的な直訳に固執せず、受け手である子どもたちの生活実感に寄り添ったこと――これこそが、外来のミュージカル劇中歌が日本の文化として血肉化した決定的な要因です。
【判断基準】歴史を知ることで音楽鑑賞・指導がより深まる人
- 音楽教育・育児に携わる指導者・保護者:音階の理屈を教える前に「音を楽しむ・イメージを結びつける」という原点に立ち返りたい人。
- 翻訳・クリエイティブ制作に関わる人:単なる直訳(翻訳)と、心に響く翻案(ローカライズ)の決定的な違いを学びたい人。
- ミュージカル・映画ファン:劇中の時代背景やマリアの教育的意図をより深く味わいたい人。
【ドレミの歌 発祥】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:音階の「ドレミ」を考案した発祥国と人物は誰ですか?
A1:発祥国は中世のイタリアです。11世紀初頭、ベネディクト会の修道士であり音楽理論家だったグィード・ダレッツォが、弟子たちに音階を効率よく覚えさせるためにラテン語の讃美歌『聖ヨハネ賛歌』の各節の頭文字を利用して考案しました。
Q2:なぜ日本語の歌詞で「ファ」だけ食べ物ではなく「ファイト」なのですか?
A2:訳詞を手掛けたペギー葉山氏が作詞当時、「ファンタ」などのお菓子や飲料を検討したものの、小さな子どもが歌いやすい言葉が見つからず、米国滞在中の孤独な自分を励ます意味も込めて「ファイト(Fight)」という前向きな言葉を採用したためです。
Q3:英語の原曲では「シ」の音をどう歌っていますか?
A3:英語圏のソルフェージュでは「シ」を「Ti(ティ)」と発音するため、原曲では「Tea: a drink with jam and bread(紅茶:ジャムパンと一緒に飲むお茶)」という言葉遊びで歌われています。
まとめ:1000年の時を超えて響く「歌う喜び」の原点
私たちが何気なく口ずさんでいる『ドレミの歌』には、11世紀中世イタリアの修道院で生まれた音楽教育の知恵、20世紀ブロードウェイが生んだ劇作の妙、そして昭和の歌姫が異国の地で紡ぎ出した温かい祈りが重層的に重なり合っています。
「歌はみんなの心を結びつけ、生きる勇気を与える」というメッセージは、時代や国境が変わっても色褪せることはありません。その重厚な歴史と誕生秘話を知った上で改めてこの名曲を聴くと、一音一音に込められた先人たちの情熱が、より鮮やかに心へ響いてくるはずです。 (出典: ドレミの歌 発祥(Yahoo!ニュース))